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大阪高等裁判所 昭和49年(う)1243号 判決 1976年11月19日

被告人 池田雄一郎

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人岩橋健作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用し、次のとおり判断する。

論旨は、要するに、原判決は(一)本件衝突現場である和歌山県日高郡日の御崎燈台より三一〇度、六・八海里付近の海上は日本国の内水としてその領域に属するから、被告人の本件所為については刑法一条一項により日本国刑法の適用があり、また(二)同法一条にいう「罪ヲ犯シタル」とは、犯罪行程の何らかの一部が行われたこと、すなわち犯罪構成要件に該当する事実の全部又は一部の発生したことを意味するから、日本船舶である機船銀光丸内において傷害、艦船破壊の結果が発生している被告人の本件所為については、同法一条二項によつても日本国刑法の適用がある、としているが、本件衝突場所は本件衝突のあつた昭和四一年一一月二九日当時公海に属していたものであり、また刑法一条にいう「罪ヲ犯シタル」とは犯罪の行為がなされることを意味し、日本国外にある日本船舶内において単に犯罪の結果が発生したにすぎない場合を含まないと解すべきであり、したがつて被告人の本件所為は刑法一条一項にも同条二項にも該当しないから、被告人の本件所為を国内犯としてこれに日本国刑法を適用することはできないといわなければならず、これらの点において原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな法令解釈適用の誤がある、というのである。

当裁判所は、所論にかんがみ記録を調査して検討した結果、被告人の本件所為は日本国内における犯罪であつて刑法一条一項に定める場合に該当し、仮りにそうでないとしても日本国外における日本船舶内における犯罪として同条二項に定める場合に該当し、したがつていづれにしても被告人の本件所為につき国内犯として日本国刑法が適用されるとした原裁判所の判断は正当としてこれを肯認することができると考えるものであり、その理由も原判決が弁護人の主張に対する判断として説示するところと概ね同様であるが、一部原裁判所と見解を異にする点もあるので、以下所論に則して当裁判所の判断を付加することとする。

一、本件衝突場所がわが国の領域に属するか否かについて。

鑑定人大塚博比古、同小田滋、同大平善梧作成の各鑑定書(以下特に言及しないときは、各人の原審における証人尋問調書を含めて大塚鑑定書、小田鑑定書、大平鑑定書と略称する)によつて明らかなように、国際法上、海洋はいずれの国の領域にも属さない公海と、特定の国の領域に属する領海(広義)とに分かれ、領海(広義)は沿岸海(狭義の領海)と内水とから成るが、一つの入口(海峡)で公海に連なる閉鎖的な海すなわち「湾」は、その沿岸がすべて同一国に属し、かつ湾口が一定の幅以下であるとき沿岸国の内水としての地位が認められ、また、二つ以上の入口で公海に連なる海すなわち「内海」も、その沿岸がすべて同一国に属し、かつ公海とのすべての通路(入口)が一定の幅以下であるとき沿岸国の内水としての地位が認められ、この場合の通路入口の幅は湾口の幅と同じとされる。狭義の領海である沿岸海は海岸もしくは内水の外端から沖へ向つて一定の距離内のものとされるが、沿岸海の範囲についてはわが国を含む多くの国によつて三海里とする立場がとられる一方、一二海里説から二〇〇海里説まであつて国際法上十分確定されていないのに対し、湾口の幅についてはそれより広くあるべきものとして、六海里とする立場あるいは一〇海里とする立場などが主張され、とくに後者が有力であつたところ、昭和三三年四月二九日ジュネーブにおける国際海洋法会議において、「領海及び接続水域に関する条約」(以下領海条約という)が採択され、そこでも沿岸海の範囲については何ら定められなかつたが、その七条四項において「湾の天然の入口の両側の低潮線上の点の間の距離が二四海里をこえないときは、これらの点を結ぶ閉鎖線を引き、その線の内側の水域を内水とする」と定められた、そして右条約は昭和三九年九月一〇日発効したが、わが国の加入書寄託によりわが国に効力を生じたのは昭和四三年七月一〇日、すなわち本件の発生した昭和四一年一一月二九日より後であつた。

ところで、本件衝突場所は、最も近い陸地である和歌山県日の御崎燈台より三一〇度、六・八海里の海上に位置するから、沿岸海の範囲を三海里とする限り、その範囲内に属しないことは明らかであり、また何らかの湾内にあると認めることも困難であるが、その属する水域の地理的状況を観察すれば、紀伊水道、関門海峡及び豊後水道の三海峡によつて公海である太平洋及び日本海に連なる水域(以下本件水域という)内にあるところ、大塚鑑定書によれば、右各海峡の幅は紀伊水道が(日の御崎から徳島県蒲生田崎まで)二八・七キロメートル(約一五・五海里)、関門海峡が〇・六一キロメートル(約〇・三海里)、豊後水道が三六・六キロメートル(約一九・八海里)であることが認められる。

原判決は、以上のような事実関係を前提とし、かつ、前記領海条約は本件発生当時いまだわが国に条約としての効力を生じていなかつたから、同条約七条四項の規定は本件に及ばないし、また湾口の幅に関し同条項の定めるいわゆる二四海里ルールは昭和三三年同条約採択当時の国際慣習法を法典化したものと解することもできず、むしろ当時の慣習法とは相違した創設的条項であると認めるのが相当であるとしながらも、国連総会の主催する海洋法会議で採択された同条約の成立経過と権威、国際条理、前記七条四項が同条約の採択、批准、加入の際当時国から何らの留保も付せられていない条項であり、条約採択後においてこれと矛盾する慣行が行われていると認められないことなどに照らし、右条項は、昭和三九年の同条約発効時頃には大多数の国家に法的確信を抱かせ、一般国際慣習法に生成していたと解するのが相当であるから、同条項の要件を充足する水域内にある本件衝突場所は、本件発生当時わが国の内水としてその領域内にあつたものと認められるとしているところ、所論は、昭和三九年当時はもちろん、本件発生当時においても、未だ二四海里ルールが国際慣習法として成立していたと解することはできず、本件については従来の慣行であつた湾口に関する一〇海里ルールによつて内水に当るか否かを定めるほかはないから、本件衝突場所は公海上であつたといわなければならない旨主張するのである。

そこで按ずるのに、原判決が指摘している諸事情はたしかにいわゆる二四海里ルールが世界各国によつて比較的容易に受け入れられ、そう長くない期間において慣行化するであろうことをうかがわせるに足るものと考えられるのであるが、他方小田鑑定書及び大平鑑定書によつて認められるように、湾口の幅に関しては古く昭和五年に開かれた国際連盟の国際法法典編纂会議において一〇海里とする立場が多くの国の同意を得、それ以来一〇海里とすることがほぼ慣行となつていたところ、前記昭和三三年の国際海洋法会議において、沿岸海について一二海里を主張していたソ連などの国から突如として湾口を二四海里とする提案がなされ、本会議では反対はなかつたが、委員会においてはアメリカ、イギリス、日本など有力な海洋国の反対を押し切つて右提案が採択されたものであり、また右会議に参加した国は一〇七国にのぼるが、昭和三九年に領海条約が発効した際、この条約に批准加入していたのは二二国にすぎず、なおその後昭和四五年当時にも加入国は三七国であつたことなどに徴すると、昭和三三年に初めて提唱された右二四海里ルールが、いかに条約において成文化されたとはいえ、それから六年しか経たない昭和三九年当時において、またそれより二年後の本件発生当時においても、原判決のいうようにすでに大多数の国家に法的確信を抱かせ、慣行として反復されて一般国際慣習法に生成していたといえるかどうか疑問であり、むしろ否定的に解するのが相当と思われる。したがつて所論のいうとおり、「湾」の法理の類推によつて直ちに本件水域全体を我が国の内水としてその領域内にあつたものと認めることはできないといわなければならない。

しかしながら、他方、大塚鑑定書及び大平鑑定書が明らかにしているように、内海もしくは湾の如く地理的に特殊な状況にある水域については、国際慣習法上、その水域につき沿岸国が長年にわたる慣習においてこれを領域として取扱い、有効に管轄権を行使し、これに対して諸外国も一般に異議を唱えていない場合には、既述のような一定幅員の要件を具備していなくても、いわゆる歴史的水域として内水たる地位を有するとされるところ、本件水域はその地理的状況及びその取扱いの歴史的経過に照らし、右の歴史的水域の法理(原判決のいう歴史的湾の類推)によつて、わが国の内水に該当すると解するのが相当であり、そのように解すべき理由は原判決が弁護人の主張に対する判断の項中、二の(三)の(3)において詳細に説示するとおりである。所論は本件衝突場所が瀬戸内海に含まれるとする原判決の判断を攻撃し、瀬戸内海は紀淡海峡及び鳴門海峡以北の内海を指称するもので、歴史的水域の法理はその範囲の内海には適用できても、本件衝突場所には適用できない旨主張するのであるが、原判決の指摘するわが国の史的慣行事実によつてみるときは、世間的常識として瀬戸内海をどのように考えているかに関わりなく法的には瀬戸内海の東南端は本件衝突場所より南の和歌山県日の御崎と徳島県蒲生田崎とを結ぶ線であると解すべきものであつて、所論の見解はあたらないが、かりに瀬戸内海の範囲を所論のように狭く解しても、本件衝突場所は紀伊水道の最も狭い部分である日の御崎と蒲生田崎とを結ぶ線の北方の紀淡海峡、鳴門海峡及び紀伊水道によつて囲まれる水域内にあり、その沿岸はすべてわが国に属するうえ、この水域については、原判決が瀬戸内海について述べているのと同様の継続的史的慣行事実及び非抗争性に関する事情を認めることができるので、依然として本件衝突場所付近は内水たる地位を失わないといわなければならない。また所論は、歴史的水域と認められるための非抗争性の要件は、原判決のように「外国からその特殊的地位について争われないこと」という消極的なものに解すべきでなく、「外国から明示的または黙示的に承認されること」すなわち承認が重要である旨主張するが、原判決も説示しているとおり、国際地理的には一種の辺境にあつて近辺水域の利用について従来殆ど他国の関心外に置かれて来たわが国の特殊事情にかんがみるときは、歴史的水域として認められるための要件としては継続的史的慣行の方に重点をおいてよく、この要件が備わる限り、非抗争性については、諸外国からとくに争われないという消極的事実をもつて足りると解するのが相当であるから、この点の所論も採用できない。

右のとおりであつて、本件衝突場所付近はいわゆる歴史的水域としてわが国の内水と解されるから、その水域内で行われた被告人の本件所為については刑法一条一項によりわが国の刑法が適用されるべきものである。

二、刑法一条二項の適用について。

なお、かりに本件衝突場所をわが国の内水と解することができないとしても、原判決が弁護人の主張に対する判断の項の二の(二)において説示するとおり、本件は刑法一条二項の定める場合に該当し、同項により被告人の本件所為についてわが国の刑法が適用されるものと解すべきである。すなわち、同項にいう「日本国外ニ在ル日本船舶……内ニ於テ罪ヲ犯シタル」とは、日本国外に在る日本船舶内において犯罪構成要件に該当する事実の一部分が行われたことを意味し、結果の発生を構成要件とする犯罪については、犯罪の実行行為が日本船舶内で行われ、結果が国外地で発生した場合はもとより、実行行為が国外地で行われ、結果が日本船舶内で発生した場合をも含むと解するのが相当であるところ、原判決の認定した業務上過失傷害罪、業務上過失艦船破壊罪はいずれも結果の発生を要件とするものであり、原判決挙示の証拠によると、被告人と原審相被告人月元輝男が乗船していてそれぞれその船中で原判示の過失行為を行つた機船テキサタ号はリベリヤ国籍であるけれども、これと衝突した機船銀光丸は船舶法一条所定の日本船舶であり、被告人と月元の過失行為の競合に基づく傷害及び艦船破壊の結果はすべて右銀光丸内において発生したものであることが認められるのであつて、これによれば本件が刑法一条二項の定める場合に該当することは明らかである。弁護人は、刑法一条二項を前記のように解釈すると、例えば西ドイツで製造された薬品の中に誤つて少量の毒物が混入され、その薬品が日本に輸入されたのちこれを注射された人に傷害が起きた場合、西ドイツ人の行為者に対し日本の刑法を適用することとなるのであつて、これは全く不合理な結論であるとして、刑法一条二項にいう「罪ヲ犯シタル」には犯罪の中間現象及び結果を含まないと解すべき旨主張するが、所論の例においても、過失を犯した西ドイツ人に対してわが国の刑法を適用することは何ら不合理でなく、ただ実際上、その西ドイツ人がわが国に入国でもしない限り、わが国が同人に対してわが刑法に基づき刑罰権を行使することが困難であるというにとどまるのであり、かかる事情はいまだ所論のような解釈をとるべき根拠とすることはできず、その他所論指摘の諸点を検討してみても、所論の解釈は採用することができない。

以上のとおりであつて、原判決には判決に影響を及ぼすような法令解釈適用の誤はなく、論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 八木直道 山田敬二郎 青野平)

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